「惑星のさみだれ」×ピロウズ話

前エントリにもありますが。イラストや漫画語りなどに使ってたHPが無くなってしまったので、このブログをもうちょっとそういった方面にも使っていこうか・・と考えてます。

というのもあり、今日は先日めでたく最終巻の出た「惑星のさみだれ」話。

以前の記事に同じく(http://d.hatena.ne.jp/utoutouto/20091123/1258905620)「ピロウズファンから見たさみだれ話」となるので、そういった関連付けが好みでない方にはお勧めできない文となります。ご容赦を。 あ、あとネタバレになります注意!

それでは収納








予感はしてたので「バビロン天使の詩」再生をスタンバって最終巻突入! いやもうですね よかった 聞きながら読んでホントよかった(バビロン×さみだれの説明は↑リンクの以前の日記で語ってるので参照いただきたく)

実は、「惑星のさみだれってバビロンだよな〜」と心底思いながらも・・ピロウズ的には「バビロン天使の詩」の「ここじゃない世界へ逃げよう」という部分が、後に「モールタウンプリズナー」の「ここじゃない世界へ逃げるなんて出来そうにない」で打ち消されているという事がありまして。私的には、そっちの「逃げない決意」の方を贔屓している事もあって、「あんまりバビロンどおりだと」という気持ちがありました。


でも、「さみだれ」はそうでありながら、違いました。「風と君を呼んで ここじゃない世界へ」逃げた・・といえばそうです。
ただ、それがどこかの異次元の断絶のセカイでなく、この世界の地続きの未来だった・ということ。 耳をふさいで頭を低くして逃げ込んだのでなく。まっぴらゴメンだぜな世界から、まんまと堂々と逃げおおせて見せた・ということ。


「あまりにも健全」・・これが「惑星のさみだれ」という作品だったんだなぁと思います。中期までに感じていた、直球でメタで物騒でセカイ的な道具立てをしながら、あまりにも「よい大人」が出過ぎる違和感。そんなに大人を出したら、セカイが、ヒロインが負けちゃうよ?と。
それがどんどんどんどん、こんな大人達が居て、仲間が居て、彼らと関わって、人が物語が、ここまできてもう不健全な方向に向かうはずがないだろ?という確信に変わっていく。そんな作品でした。
コドモなんか大人に負けとけ。不健全なんて健全に負けとけ。セカイなんか世界に負けとけ! そんな、ねじ伏せねじ伏せられる爽快感・・といえばいいんでしょうか(笑)。


正直な話、その「健全さ」の点でピロウズとは相違が生まれたともとれます(苦笑)。ピロウズの「僕」はどこか不健全で、「彼女」から万能感を得ることは揺ぎ無いけど、その前を・上を行く・・ということは難しい気がします(汗)。まあ、そのピロウズ感に捕らわれていた分、逆にゆー君の成長に目を見張れた分もあるのでプラス!


いやーそれにしても「バビロン天使の詩」ですよ。最終局面は全部MADにして、ここにこのシーンを当てて〜とか考えてしまいます・・。
さみだれバベルの塔」というのはもう異論を受け付けませんが(笑)。「”雲”が邪魔したって」(→東雲・南雲・白道?)とか、「君がこぼした愛は僕に全部〜」→「〜吐き出した愛もいつかきっと飲み干せるさ」(→最終的にゆー君がさみに全部受け入れさせる)とか。色々深読み(付加読み?)もしてみたり。
凄い十代マンガスキーみたいな楽しみ方ですが。でもそんなの凄く好きなんですって!

あまりにもそのまんまベタですが、”あの”シーンは「LIBERTY」もいいなあ。